癌の手術を受けた父親の退院後の様子をみて思うこと。

今年の3月29日に父親がすい臓癌の手術を受けました。

癌の手術を受けた父親の退院後の様子をみて思うこと

父は手術後、一ヶ月弱入院しました。

その時に病院の方達にもった感想は「随分と手荒いな。」というものでした。

すい臓全部と、胃の一部も含めたいくつかの臓器を摘出した父は手術後、歩けない、食べれない状態が続いていました。

その上、すい臓を摘出すると生きるために定期的なインシュリン注射が必要になってきます。

そんな父でしたが、数日で歩く練習が始まり、2週間後には食べる練習も始まりました。看護師さんは優しく、というよりは手厳しく「なんでも自分でやってくださいね。」と突き放すように父に接していました。

父は文句を言いながらリハビリのメニューをこなし、一ヶ月で退院しました。

退院直後の父は短い距離は歩けるようになったものの、とてもまともに生活できる状態ではありませんでした。

僕はその間、介護保険やサービスのことなどを調べ病院にあるような自動ベッドを安く借りれる方法や、ヘルパーさんにきてもらう方法などを調べていました。

父の退院が近づいた頃、母にそれらのサービスを受けることを提案しました。

母も最初は僕と同じようなことを考えていたようでしたが、入院中の看護師さんやお医者さんの対応をみて、自動ベッドのレンタルをはじめとした介護サービスを受けずにやってみようという結論に至りました。

色々なケースがあると思いますが、父のケースでは今のところこの選択は正解だったと感じています。

今では父は犬の散歩ができるようになり、食事も糖分をひかえるという以外は母と同じものを食べています。

インシュリン注射も自分で打ちます。

今日は父親の誕生日でしたが、ケーキも食べることができました。

僕が考えていたように、過剰に病人として扱い自動ベットでの寝たきりの生活を用意していたら、あるいは入院の期間がもっと長くスパルタな訓練を受けていなかったら、父の回復はここまで早くなかったのではないかと思います。

病気の症状や回復方法は本当に人それぞれで色々なケースがあると思いますので、あくまで一例として感じたことを書いてみました。

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ippei

趣味でコントを楽しむサラリーマンを挫折。難航する婚活とリストラの恐怖と、両親の介護への不安。そんな時に父親が癌に。 日本で楽しく生きるとは? 答えを探すためにコーチングを学んで40歳からキャリアチェンジ。その道程で出会いがあり入籍。夢は、日本や世界の状況がさらに深刻になった時に困っている人達に「楽しい生き方」を共有できる人間になること。