大下千恵さんのコーチングを受けています。
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情熱を探すために過去と向き合う
前回のセッションで、「今までで一番楽しかった瞬間」「うまくいかなかったこと」など、過去のエピソードを思い出しその中から自分の情熱を探していく。
ざっくりしているものを細かく把握していく方法がある。
と提案してもらったので過去のことを思い出しています。
大学受験
人生で最も努力した時期のうちの1つに大学受験期(高校3年の夏〜冬)がある。
エスカレーター式で大学まで行ける付属学校に通っていたが、色々な種類の人が集まる早稲田大学に行くために受験した、というのは理由のうちの半分くらい。
残り半分は両親の「もっとレベルが上の学校に行けるよね」という期待に応えるためだったと、今になると思う。
他にもやりたいことがあったが、自分の意見が半分も反映されているのだから落とし所としては上々だ、と考えても当時の自分なら無理はない。
典型的な都心の中流核家族だったと思う。
両親ともに東京は大学から。結婚して数年は父親の仕事の都合でイタリアにいたが、そのあと本格的に東京に暮らすようになってから、おそらく「トウキョウ」で子育てをすることの実態を知った。
というか知り始めた。そして、競争原理に飲まれた。
両親の仲が悪い(か冷え切っている。)
中学受験を経て高校卒業まで6年間、苦楽を共にした男子校仲間たちは少なからず同じような悩みを持っていたと思うが、多感な時期にそれを口にする者はいなかった。
皆、自分だけの問題として処理していた。
中学受験で勉強が大嫌いになっていた僕が、大学受験に挑戦するのは苦痛だった。
かつ、周りの友人はエスカレーター式で大学に行く。孤独もプラスされた。
その時期に書いた日記を一つ、書き写してみたいと思う。
その日記は、コミュニケーションの壁に関するものだと今なら読める。
受験の盲点
受験を外で見ている人間と、中でやっている人間とは決定的な壁がある。
これは、親と子の関係と決まってくるのだが、つまり、悪い意味での結果論である。
この決定的な壁がやがて溝になっていく。いつの間にか「判断される人生」しか頭にない愚かな人間が出てくるという状況もできてくる。
では、どうすれば良いのか?
ここで言いたいのは、外の人間を中に連れてくるのは違うということ。
それでは、外の人間は自らの人生を歩めなくなる。
そうじゃない。
外なら外なりの、内の人間に対する接し方があるというものだ。
受験以外のこと、例えば、野球とか音楽などでは、これは成り立っている。
なぜ受験ではそうならないのか?これはいうまでもないことだが、では、どうすればいいか、これは今だにわからない。
それが、くやしい。
感想
いやー、ちょっとスネた物言いですし、意味がよくわからない部分もありますが、大雑把に「両親に尊重してもらえないと思っていて、それが辛いんだなぁ。」ということが伝わってきます。
ippei
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