サラリーマンがコントを趣味にするまで①

初めてコントを人前でやったのは大学1年生の頃、入っていた吹奏楽サークルの春合宿の飲み会を盛り上げてやろうと、友人に言われてでした。

それまでほとんどお笑い番組を見たことがなかった自分はよくわからないまま二人で色々考えて作ってみましたが、直前で完全に自信がなくなり友人が面白い先輩と崇めていた4年生の先輩(現リーダー)に泣きつきます。

結果は大成功。勢いに乗って次の夏合宿では飲み会の途中に、会場とは別の部屋でコントライブを行う(飲み会会場でチラシを配って観にきてもらうのです)暴挙にでますが、これまた大成功。自分を除いた3人は本当に笑いを人前でやりたかったようで、この成功を糧に劇場を借り切ってサークルの外でのコントライブを企画しようと盛り上がります。当時は他のことがやりたかった自分も、3人の熱に引き寄せられるように参加。現リーダーの当時の彼女が夢にみたということからついたユニット名「team0214」としては初のコントライブを2000年2月14日に決行します。結果は引き分けといった感じ。今思えば台本無しでおしゃべりの中から創ったこのコントライブは、当時ネタもの番組がほとんどなかった時代の素人学生がやるものとしては悪くなかったと思うものの、内輪だけのはずの客席から思ったような笑いはきません。そりゃそうです。合宿の飲み会中に酔っ払って温まりきった人達相手にするのとは勝手が違ったのです。

team0214の単独コントライブとしてはそこから冬の時代が続きます。

・第2回コントライブ「春」

就職氷河期の中、就職浪人したものもある中それぞれ無事サラリーマンになり、
仕事も徐々になれてきた3年目(自分は無職でしたが)最初にコントをやろうと誘ってきた友人が「飲み会で笑いをとることで自分は満足できるようになった」という理由で去り、3人でのコントライブ。ずっと一緒にいたサークル時代と違い、週末だけでのコント活動に慣れず完全な不完全燃焼で幕をとじます。

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ippei

ippei

趣味でコントを楽しむサラリーマンを挫折。難航する婚活とリストラの恐怖と、両親の介護への不安。そんな時に父親が癌に。 日本で楽しく生きるとは? 答えを探すためにコーチングを学んで40歳からキャリアチェンジ。その道程で出会いがあり入籍。夢は、日本や世界の状況がさらに深刻になった時に困っている人達に「楽しい生き方」を共有できる人間になること。