自己分析のために昔の自分を振り返る「大学時代の卒論」後編

前回の続きで今回も15年前に書いた大学時代の卒論の本論部分のダイジェストを書き起こしてみます。

「コミュニケーションスペース」本論ダイジェスト

1:変化するコミュニケーションスペース

生活
・ 地域社会の現状
・ 少品種多生産の原則がもたらしたこと
・ 揺らぐ家族という概念
勉学
・ 義務教育の混乱
・ ビジネス化する学習
・ 働きながら学ぶ
仕事
・ 終身雇用の終わり
・ 失業率5パーセント時代
・ 男女雇用機会均等法
・ フリーターの増加
趣味
・ 娯楽と趣味の違い
・ 趣味の均質化
新たなジャンル
・ 公に関わり始めた人々
・ NPO,NGO
まとめ
・ ジャンルの曖昧化
・ 求められる拠り所

2:コミュニケーションスペースのこれから

住む
・ 個の時代
↑結婚していない人、結婚しても子供のいない人、そして離婚する人が15年前からこ比べても激増しました。また、同じ組織にずっといるのが当たり前、という概念がくずれつつあり、選択肢が増えました。

・ 都市社会と地域社会
↑UターンやIターンなど、地域社会でイキイキとする人達が今後さらに増えていくように思います。

・ 土地を守る生活

学ぶ
・ 一生学ぶという価値観
↑わりと定着化してきた価値観かなと思います。この頃は働いてからも勉強しなくちゃいけないなんて地獄だ、と思ってましたがそれは当時の一般的な風潮で今は学ぶことを楽しむ人が増えてきました。

・ 学ぶ時期の多様化
↑働きながらの人たちの他にも、一度退職されて大学院とか定年されてから英語留学とかよく聞くようになりました。

働く
・ 場所、時間を選ばない労働
↑ノマドブームがあってからとても環境が整ってきているようにに思います。

・ 混ざり合う年代、性別

遊ぶ
・ 与えられることの限界、創る喜び
↑私、趣味でコントをやっているのはこの辺りのことを思うようになってからと思います。

・ 趣味でも娯楽でもない遊び
↑ブログがまさにそうなりつつあるかなと思います。

3:総括

共生

感想

以上が本論のダイジェストでした。

ところどころ↑コメントを入れながら書き写してみました。15年前は卒論でこんなこと書いてましたが、実際に自分が就職する時は近い未来のことがどうなるか、みたいな考えは会社にも両親にも受け入れられないだろうと思い、捨てて、コテコテの日本社に就職しました。そこに大学生の頃に考えていたような新しいものは一切なく、高校の頃、倫理の先生が話していた序論に書いてあるような世界でした。もっというとそんなことを考える余裕もなく、日々忙殺される毎日になりました。その会社で営業を2年半やって、トラブルがあり失踪し、帰還するも無職のまま公認会計士を志すも失敗し、簿記を持っていたお陰でたまたま入った外資系生命保険会社で仕事の楽しさと英語の世界を知ることになって、働きつつコントを趣味にするようになって・・・・。大分遠回りをしておりますが、改めて大学時代に思っていることを書き起こしてみると、根本のところ、自分が本当に問題視している部分、やりたいこと、15年たっても変わっていないなと感じました。ただ、それをどう工夫して形にしていくか?どうやって人に伝えるか?は遠回りしたお陰で先に進めそうな感じがします。

そしてこの15年間で、主に情報革命が進んだことによってそれをベースに工夫を重ねた人達が当時僕たちが思っていた「こんな世の中になればいいな?」をどれだけ具現化してきているか、ということを改めて感じ、感服しました。

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ippei

趣味でコントを楽しむサラリーマンを挫折。難航する婚活とリストラの恐怖と、両親の介護への不安。そんな時に父親が癌に。 日本で楽しく生きるとは? 答えを探すためにコーチングを学んで40歳からキャリアチェンジ。その道程で出会いがあり入籍。夢は、日本や世界の状況がさらに深刻になった時に困っている人達に「楽しい生き方」を共有できる人間になること。